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オーストラリアの旅を終え、メルボルンから旅立ったオヤジはインドネシア、シンガポール、マレーシア、タイと旅を続け、“87年3月、ボンベイ(今はムンバイだと)に降り立ち、オーストラリアから送った愛車とやっとのことで再会。ここから遙かおフランスのパリまでひたすら走るのでした。
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INDIA
’87年3月、バンコクから深夜のボンベイ空港に降り立ちました。飛行機から降りたとたん、むっとする熱気と衝撃で倒れそうになるほどのニオイの洗礼を受けました。
その当時の空港は今とは大違い。薄暗い倉庫のようなロビーで、そこには刺すような目の意地悪な税関職員がいて、通関だけで一苦労。「来なきゃ良かった!」というのがインドの初印象で、ホントに体一つの観光旅行だったら帰っていたかも知れません。
やっと税関を抜け、外へ出たと思ったら、妖しげな男どもにワッと取り囲まれ、ビビリます。この日から、一時たりとも気が抜けないインドの旅が始まりました。
最初から最後まで悩まされ、戦いを強いられたのが、融通がきかず傲慢、横柄、尊大を絵に描いたようなお役人。バイクを通関させるのに厚さ2センチあまりの書類を集めさせられ、2週間もかかったのでした。先が思いやられます、トホホ。
BOMBAY(現在はMUMBAIです)
 2週間毎日役所に通い、遂にバイクと再会!通関の時、税関の職員、業者のほとんどが見物にやってきた。
こんな状況がこの後行く先々で繰り返されることになる。

3月28日、遂にイギリス植民地時代の面影の残るボンベイを出発した。
(左)ボンベイ駅。(中)ボンベイ大学。コブラ使いのオヤジ。
AJANTA

ボンベイの北200キロほどの所にアジャンタ、エローラという大仏教遺跡がある。
アジャンタは断崖を洞窟状に掘り抜いた窟が30余も並ぶ。前2世紀頃からこつこつ造り始めたらしい。
いずれも壮観、当時の宗教パワーを感じさせてくれた。
ELLORA

 ここはヒンドゥ教の寺院でカイラーサナータ寺院。幅42m奥行き27mの岩山を掘り抜いた、
3階建てのビルほどもある寺院。堀抜いてあるので石積みのように見えても当然全部繋がっている!
牛のウンコを捏ねていたガキどもがバイクをいじりに来やがった!来るなーっ!触るなーっ!
 これはあの、タジ・マハルのパクリ。半分くらいの大きさで材質は安い砂岩。でも立派なもんです。
世界最悪の交通事情の国がインド。信号は守らない。それどころか車線さえ守らない、ウインカー出さない(付いていない車がほとんど )、ライト点けない、とムチャクチャ。
しかもぶつけるくらいは事故の内に入らず、保険に加入している車は数パーセントだそうで、ぶつけられても1円も出ず、轢き殺されたら犬死にです、おーコワ。転がる死体を何度も見ることになり、その度、インドでは死ねん!と気合いを入れたものです。
それにガソリンの質も世界最低で、エンジンがカラカラうめき声を上げます。それにちょうど一番暑い頃で、路面温度は60度を越し、ただでさえ質の悪いアスファルトはドロドロ。バイクにも人間にもハードな旅が始まりました。そんな中をひたすら突き進みます。
 デカン高原を走っていたら向日葵畑が現れ、そこに居た少女と目が合った。
ここはムチャクチャ暑い!日本の熱帯夜なんて屁みたいなもの。朝6時に軽く30度オーバー!
ボンベイを出て南下して1日走り、海岸に出るとゴアという浜辺の街に着きます。ここはインド2大チンボツ地(もう一つは後で出てきます)として知る人ぞ知る所で、世界中のヒッピー(ちょっと古い?)がやって来ます。目的はもちろんドラッグ。
これにハマッてしまい、抜けられなくなったアホ(日本人も)がいっぱいいました。ここはインド唯一のキリスト教徒の街で、食い物もうまいし、インドでは珍しくのんびりでき、周りのインド人もうっとうしくなく、暮らしやすい所ですが、ハマらないように。
GOA
  昼間のゴアは時間がゆっくり流れていた。右上は1〜2週間に一度開催される浜辺の大ドラッグパーティ。
マリファナからLSDまで何でもアリだ。日本人が一番だらしないラリり方だった。
MARKETT

 インドに限らず途上国では子供でも働くのが当然。日本のガキどもに見せてやりたい光景です。
 バザーにいたオヤジども。皆いい顔していた。 インド人は何事にもアバウトだが、なぜか野菜はキレイに並べている。
COUTINUE
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