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プロローグ
バイクで世界一周をしようとオーストラリアへ旅立って、もう20年以上の月日が流れてしまいました。19歳で日本一周をやり遂げ、漠然と、次は世界一周だ、と思ってはいましたが、日々の生活に追われ、月日は過ぎて行きました。
そして27歳になったある時、『今しかない!』という天の声が聞こえて来たのです。その日から準備が始まりました。それまで海外旅行と言えばツアーでグアムと香港しか行ったことがなかったのに、何の情報も無いまま、いきなり5年をかけて世界を一周してしまおう( いろんな理由により無帰国一周は果たせず、結局延べ10年もかかってしまいましたが )というのだから少々無茶だったかも知れません。
でも、今思い返してみても何の後悔もありません。むしろやって良かった、出来ればもっと早くやれば良かった、もっと隅々まで走っとけば良かった!と思っています。もっとも飛ばし過ぎてバルブを溶かし、カムを焼き付け、そのおかげでケープヨークに行けなかったのが心残りです。これから旅立とうと思っている人( バイクに限らず )のきっかけになれば、と思います。
2008年12月12日、追記

西へ、西へ

旅立ちの朝。ここから長い長い旅が始まる。 メルボルン
始めて赤道を越え、一人で降り立ったオーストラリアは、狭い島国で育った人間にはとんでもない広さで、十分すぎるほどビビらせてくれました。出発の日までは、これから始まる旅のことを思って、不安と期待で眠れなかったことを想い出します。 ’86年7月14日、思ったよりずっと寒いメルボルンの街に別れを告げ、西へ向け旅立ちました。


メルボルンを抜けると草原地帯になり、やがてなだらかに続く美しい高原になった。
更に走り続け、午後遅くなって海岸に出た。そこは家1軒なく、果てしなく奇岩が続くところだった。
出発して2日間はまだ緑が続いていた。
 信号はもちろん無いが、たまにはこんな交通渋滞が・・
メルボルンを発って3日目、昔F1をやっていたアデレード(オーストラリア弁で言うとアデライド)を過ぎてポートオーガスタという小さな町を過ぎる頃から徐々に緑が消えてメいきます。ここからが真のオーストラリア、アウトバックの入り口なのです。半日ほどで舗装がボコボコになってきました。
COOBER PEDY
アウトバックに入って最初の街、クーパーピティはオパールを掘るためだけに出来た街で、元来人の住めるところではありません。夏は気温が50度になることもあるのです。ですから家のほとんどは岩山を掘り抜いた(ダッグアウト)と呼ばれる地下にあります。ちなみに役場で採掘料を払えば、誰でも穴を掘ることができます。一攫千金の男達がいっぱいいました。 もうここから先は街らしい街は無く、赤い大地が果てしなく広がるのみです。
 左から、街の全景、穴蔵教会、穴蔵ホテル
 穴蔵レストランでランチ。地元の高校生と。バイクの整備でお世話になったガレージのおばちゃん。
ユーゴ移民って言ってたけど、飛行機突っ込んだ看板がシュール!
 アボリジニ(通称アボちゃん)の後ろには何故か必ず犬が・・

渋いトラック(現役?)と犬のドライバー。一人で家を掘っていたオヤジ
 世界で唯一(?)の転落注意!標識。舗装もこの先で消えた。付近はオパールの穴だらけ
 クーパーピティを過ぎるとダートになった(一人で1時間かけてリモコンで撮ったんです)
真っ赤な大地をひたすら飛ばす
CONTINUE
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